エルモット村役場・副村長の、カシュカシュです。

プロフィール紹介を兼ねて、これまでの経歴と経緯について
語らせていただきます。

 

転勤族の父が、広島への転勤直後に、私は生まれました。

1歳にもならないうちに、父は脱サラして京都の実家に戻り、スポンジ加工の工場を始めました。

なので広島の記憶は、私には全く残っていません。

「Hiroshima」と「Kyoto」には共通点があります。

それは、世界的に有名な地名で、インパクトがあること!
なので自己紹介では結構便利に使っています。

京都の実家は、妙心寺と広隆寺のほぼ中間、徒歩10分ほどの距離で育ちました。

 

 

芸術家。書道家であり、京都教育大学の教授、山内観先生。
妙心寺の門前に、山内先生の書道塾がありました。

自転車に袴履きで走り回っている山内先生!
その袴姿が、私の中では強烈に印象に残っています。

とにかく大きな、愛に溢れる先生でした。

「山内先生のような大きな愛の人になりたい!」
という目標が子供の頃の私には刷り込まれてしまいました。

本当に立派な芸術家の元で育てていただいたことを心から感謝しています。

山内先生は、いつもこう仰いました。

「柔らかい筆の穂先を、日本刀とイメージして、机の奥深くまで切って書け」と。

刀でキリッと、精神を集中して書く稽古です。

「集中して書く線は、強いだろう?
集中していない線は弱いだろう?」

と先生は仰るのですが…
子供の私には、さっぱり分かりませんでした。


ところが、毎週毎週「日本刀」とイメージして集中して書く訓練を重ねると…

徐々に、作品の出来の違いが分かってくるようになるのです。

過去の自分の作品を見た時に
「集中してるな」
「気が散ってるな」と、
感じ取る感性が磨かれてくるのです。

他の人の作品を見た時にも
「気楽な人だな」
「厳しそうだな」と、
書き手の精神状態が伝わってくる。

つまり「見えないものを感じ取る」ある種のサイキック能力が高まってくるのです。

これは書道だけでなく、日本の伝統文化の「道」に含まれる要素だと考えます。

日本の伝統文化は「精神性を高める」と言われます。

 

大学卒業時は、バブル期に差し掛かった頃でした。
景気はいいけど、どこも採用してくれず、就職活動は絶望の連続でした。

唯一内定がもらえたのが、当時日本最大の流通グループ、スーパー「ダイエー」の系列印刷会社。当時は不本意でしたが、今から考えれば、この会社でなければ何も始まってなかったと思います。黎明期のMachintosh(パソコン)に出会うこともなく、独立することもなかったでしょう・・・

ダイエーは後々、バブルの徒花のような扱いになっていくのですが、当時はイケイケで、楽しい思い出がたくさんあります。

グループ企業全体で2万人が働いていた(と記憶している)ので福利厚生もバッチリ。社員食堂はあるし、冬はトマムでスキー、夏は信州でテニス。ダイエーオレンジアタッカーズという実業団バレーボールチームのチアリーディングに入って遠征旅行に行ったり。業務の何かで表彰してもらって、豪華客船「富士丸」(だったかな?)で日本一周クルーズに乗せてもらったこともあります。

大企業の「恩恵」を、たぶんグループ2万人の中でもトップクラスでフル活用していたのではないかと思います。本当によく遊ばせていただきました。感謝しかありません。

  

入社して5年目、「恋は盲目」に陥り、仕事なんてやってられない、彼に会う時間を作らなくては!ということで、会社を辞めることにしました。

とはいえ生活費は必要なので、派遣にするか、独立するか?
ちょっと迷って、派遣登録しながら独立することにしました。

大阪市北区の、中津駅に直結したマンションの小さい1室を借りて、「書道できます」「パソコン使えます」という程度で仕事を始めました。

大企業とは真逆の、なんて自由な世界!
自分の時間をどう使うか、誰にも遠慮が要らないのです!
大空に羽ばたく小鳥のような解放感を、全身で感じて、幸せいっぱいでした。


自由に動ける時間が増えたことで、お付き合いする人種が激変しました。芸術家として活動している人との出会いも増えてきました。龍笛の出口煌玲さん舞踊の牧桃子さん夫妻には和文化事業について何年にも渡って相談させてもらい、気持ち的に大きな支えでした。また、能楽の井上和幸先生のお弟子さんたちに、なんと1週間で能舞台に立てるほどにお稽古をつけてもらい、とても貴重な良い体験をさせていただきました。

仕事は「松下電器産業」や「くら寿司」「日本国際パフォーマンスアートフェスティバル」などのお仕事に、長年関わらせていただきました(詳細はこちら)


そのうち恋も終わり、仕事だけが残った次第です。

 

独立10年目のある日、時々仕事を依頼してくださる方が、東京からわざわざ私の仕事場に訪問して来られました。「ITベンチャーで起業するから手伝ってほしい」ということで、開発されたソフトウェアの試作品を見せてもらいました。

それは、一言で言うと「内観」ツール、いわば「心の鏡」のようなものでした。そして、このソフトウェアで「地球をパラダイスにする」と言うのです。
私は感動して、「こんな素晴らしいものが売れない訳がない!」「絶対に開発に関わりたい!」と思いました。

すぐに東京へ行きたい気持ちがありましたが、大阪の仕事もあるしで、結局1年後に東京へ引っ越しました。勝手に押しかけたので、給料も何も全くありませんが、とにかくその夢を実現したかったのです。2003年のことでした。

 

この仕事に取り組んでいた最中のある時、私の頭の中に、あるビジョンが突然現れました。
それは日本の里山のような風景でした。

里山には、古民家が点在していて、パビリオンのようになっていました。書道、茶道、柔道、などの伝統武芸の道場、茶店、食堂、温泉、神社仏閣、田畑、集会場など・・・日本の昔の集落のようなものでした。

そして、そこには日本人だけでなく、黒人も白人も、あらゆる人種の人が、心からの無防備な笑顔で、微笑んでいる、ものすごく幸せな風景でした。

私は「これを作るために生まれてきたんだ!」と思い込み、感動で魂が震えるほど嬉しくて、歓喜しました。

「これは、何と呼べばいいのだろう?『和文化のテーマパーク』と言えばいいのかな?」

社長が言ってた「地球パラダイス化計画」は、これだ!社長のパラダイスの計画の一環で、この「和文化のテーマパーク」を地球の至るところに作るのだ!と、勝手に解釈して、余計に情熱を注いでいったのでした。

ところが私はプレゼンの技術もなく、社長と意思疎通できず、話が噛み合う訳もなく、ソフトウェアも思うように広がらず・・・もうどうしたらいいのか分からず、ケンカみたいになってしまい、会社に行かなくなってしまいました。

 

途方にくれて、占いやらカウンセリング、リーディングなどあちこちを訪ねるも、
どこへ行っても「あなたはヒーラーだから、ヒーリングの勉強をしてください」と言われて、仕方なく、ヒーリングの勉強を始めることにしました。

ミステリースクールに入学。

西洋的で論理的な解釈の「異次元」の学びに、3年ほど費やしました。
そして知ったこと・・・

「善/悪」で白黒はっきりさせる「二元論」から抜け出して、
立体的に捉え、お互いの価値観を認め合うこと。

悪い方向へ向かう原因は「弱さ」なのだから
弱さを許し、弱さをカバーする意識や制度がなければ、お互い「平安」にはなれない。

私の和文化テーマパークには、癒しの要素が不可欠であることを理解し、それを中心に組み立てること必要性を痛感したのでした。
 

このミステリースクールは、宇宙人の指示のもとに人間が運営している組織でした。
そのため、高次元から客観的に見た「人間」について学ぶことができました。
「高次の視点」は、あらゆる問題解決に不可欠なものです。

エルモット村のコンセプトの根本的な部分を、宇宙的視点で作れたこと、
これに関する「情報発信」も、大きなテーマとではないかと捉えています。

 

経営の勉強。たまたま出会った小松伸多佳先生が、ボランティアで経営者向けに無料講座を開講されていたので、そのクラスに3年ほど通いました。

ニュービジネス協議会の研究部会、「成功確率を高めるための事業計画書作成講座」。
先生は「MBA並みのことを教えている」と仰っていましたが、本当に目から鱗が落ち続ける内容でした。

「MBA」が何を意味するのか、そんなこと勉強して何になるのか、など斜に構えていた私でしたが、私にとっては非常に重要な知識となりました。これは私の解釈なのですが、経営を自動車に例えると、一般的な経営塾が「運転教習所」だとしたら、MBAは「自動車設計所」みたいなものじゃないかという気がしています。自分の事業を進めるためには、教習所に行って自動車の運転方法(経営方法)を学ぶだけでなく、自動車をオーダーメイドする(ダンプカーなのかスポーツカーなのか、最適な形態を選ぶ)ことが重要です。小松先生の講座を受講して実感するのは、「分野を問わず、食わず嫌いは本当にもったいない!」ってことです。

小松先生は元々、野村證券の国際投資アナリストで、巨大案件ばかりやってた方なので、授業の教材も巨大企業の財務諸表を使うなど、大規模な事例ばかり学ぶことになりました。

事業を成功させるために必要な要素が何なのか、押さえるべき必須ポイントについて繰り返し学ぶ、本当にありがたい、良い機会でした。

 

小松先生から学んだポイント

  • ① フェアでなければ、続かない。
  • ② 経済学的フェアとは、リスクとリターンが正比例すること。
 

今は社会全体で、至るところにアンフェアがあります。

だから経済崩壊は必然なのだろうなあ…
経済を崩壊させたくなかったら、フェアな社会へ転換するしかないだろうな…
と、私なりに理解しています。

エルモット村は、無理なく継続できるフェアな制度を練り上げてゆきたいものです。

縄文時代のように、一万年続く仕組みづくりに挑戦?!

その後、ビジネスプランコンテストにエントリーしたことから声をかけられ、社会起業大学の9期生として入学。魂の掘り起こしから始める仲間づくりからスタート。ここは身近なことを題材にする、現実的な実践の場でした。

 

経営の勉強を始めてから暫くして、大きなショックを受けたことがあります。

それはデザイン仕事に取り組んでいる時・・・
「自分の作品に感動できない!もっと良いものが作れるはずなのに、できない!」

これは本当にショッキングなことでした。
もともと右脳人間なのに、無理やり左脳を働かせて、めちゃくちゃ無理をして勉強していました。

頭の中の、よく使う部分が、いつもと違うので、ものすごい負荷がかかり、動かなくなったようでした。思うような作品が作れなくなった自分を受け入れることができませんでした。

苦手なことに無理して取り組むことにより、もともと使えていた能力が発揮できなくなる・・・・
社会全体でみれば、どれだけの損失が生まれているか。。。

やはり、私が作るテーマパークは、芸術家が芸術家らしく生きられる環境を整備したい。
苦手なことをしなくても良い仕組みを絶対に作る!

お金のことを気にしなくても、価値があると思える創作活動に取り組めること。
これは何よりも重要なことです。

「人権の尊重」「尊厳社会」。これを極めていくべきとの思いを新たにしました。


 

知人が所有する代官山の一軒家を借りて書道教室兼ヒーリングサロンを実験的にやってみたのですが、費用面でも企画面でもあらゆる面で力不足、継続困難に・・・。

 

寄居に転居した知人が「良いところだから来てください」と何度も言うので、仕方なく行ってみました。指定の施設に入り、一人で寄居に1泊した朝・・・目覚めた時の幸福感・・・

「何もないのに、生きているだけで幸せ!」
こんな体感があるなんて、本当に信じられませんでした。こんなに幸せな感覚は人生初めてだったのです。


癒しの施設はこのような場所でなければ、と思い、新宿から寄居へ転居することにしました。

シェアオフィスとしてオーナーが解放している、60人ほどが宿泊できる研修センター。
なんと奇跡的に、社会起業大学の先輩・桜井さんや、ガーナ人のユウジンも入居していたのです! まさに運命かも?!ここで再挑戦のスタートです。

美味しい空気と、静かな環境。なんて穏やかな生活・・・
ところが。

1年も経たないうちに、オーナーから合宿所売却のため立ち退きを促されたのです。
どうしようかと迷っていたところ、寄居秩父倫理法人会の会長が、「社員の社宅に使っていた一戸建てが空いているからどうですか」とご紹介いただき、入居させていただくことになりました。

8畳のリビングと、6畳の洋室1つに和室3つ。一人で住むにはちょっと広いかな?というところで民泊を始めたらインド人が高評価をつけてくれたのです。その評価のおかげで、徐々に人が来てくれるようになり、後にAirbnbから「スーパーホスト」の認定をいただくことに繋がりました。

 

ある時、「リビングをカフェにしよう!」と思い、ちょっと改装して、カフェをオープンすることにしました。内装外装を手作りして、Facebookに「カフェをオープンしました」と発信したところ、何人もの友人から電話がかかってきて、その内の2人が「ウーファーを募集するといいよ」とアドバイスしてくれたのです。

ウーファーとは、英国発祥の「有機農業の農家さんを助ける仕組み」です。農家さんとボランティアさんを繋げるマッチングサービスです。全くの無償ボランティアではなく、「1日3食の食事と布団」を提供することと交換に、1日5時間程度の作業をお手伝いしてもらいます。長期の場合は週1日はお休みを設定するなど、いくつかのルールがあります。ほとんどが観光ビザで入国する人たちなので、現金のやり取りは不可となっています。登録事業者は、有機農業の農家さんと、その農産物を使っているレストランや売店などの事業者となっています。

エルモットは有機野菜やこだわり調味料などを使う店、さらに和文化体験できるカフェということで登録したところ、たくさんの人から問い合わせが来ました。夏休みはお断りするほどでした。

外国人ウーファーボランティアに助けられながら、書道講座、異文化交流などのイベントにも挑戦。

コロナ前の3年間で、計22カ国から、10代から50代まで沢山の人がエルモットに来てくれました。

生活習慣が全く違うので、初めの頃は、家中がめちゃくちゃになることもよくありました。
「外国人お断り」の張り紙を出す人の気持ちが、よーく理解できました…しかしこれでは世界平和にならない!私が目指しているのは「世界中の人が心からの笑顔で微笑み合う和文化テーマパーク」なのだから…

 

国際交流で実感したポイント

本当に良い関係を築くためには
「言いたいことが言える」
「異なる意見を受け止められる」

心の態度が必要。

 

まずは自分から心を開いて「我慢せずに、きちんと伝えること」を意識する・・・
するとトラブルなく快適に過ごせるようになっていきました。

「靴は揃える」「大皿から取る時はお箸を逆向きに使う」など、細かいことですが日本式のマナーを伝えると、初めはぎこちない彼らも、他所に行った時に褒められるので、嬉しくなってますますマナーが良くなる!という好循環も生まれました。

面倒でも、こんな小さなことから世界平和は築いていけるのだと思います。

コミュニケーションの基本は、心の健康から!

 

友人から「木こり学校」の案内をもらい、「これは必要!」という直感に従って入学することにしました。埼玉県には林業の大学がないため、自然保全のために県が開講した埼玉県林業従事者研修でした。その1期生です。

週の半分、朝から夕方まで、座学と実技を受講しました。
座学では、保安林などの大地の役目、自然が今どうなってるのかを学びます。そして実技では、チェーンソーの分解・整備から、直径30cm程度の樹木を切り倒すところまで、山の中で体験学習です。
倒木の難しさは「狙った場所に正確に倒す」点にあります。木と木の間、木と建物の間、など、「ここ!」という所に倒さないと大変なことになってしまうのです。

約半年間、無事に通学して修了することができ、森林ビルダーの資格をいただきました。

私にとって一番大きな変化は、ソーラー畑は絶対規制するべき!との価値観を持つようになったことです。根を張って山を支えてくれる樹木を切り倒すと、本来なら防風林など人間を守ってくれるはずの自然が、逆に人間を襲ってくるようになる・・・・恐ろしいことです。

「大地再生の会」は、物理的に、切れた水脈をチューブで繋いだり、コンクリートを除去したりして、豊かな大地へと再生させる活動をしている団体です。

理事の押田さんが寄居在住なので、相談に行きました。

「もしも荒地が入手できたら、何からどう始めたらいいでしょう?」
押田さんは、う〜ん、と少し迷った感じでしたが、
「まずは、けもの道を探して、それを生かして導線を作り、それを元に、なるべく地形を崩さない形で建物の配置を決めていく。だから『何を建てたいか?』を先に挙げておいてください。地形を優先して全体を決めてゆくのがいいでしょう。」

とアドバイスをいただきました。

 

寄居よりも少し東京寄りの「小川町」には、有機農法で有名な「霜里農園」があり、有機栽培や自然農法、環境などに「意識高い系」の移住者が多いことで有名になってきている土地柄です。また隣の秩父には三峯神社があり、味噌などの名産品もいろいろあって、山岳信仰が根付いています。この周辺には素敵な活動をしていらっしゃる人がたくさんいます。

味噌、醤油、藍染、麻製品、そして農産物にとって最重要な「土」。微生物の発酵作用が素晴らしい作用をもたらしてくれていることを実感する毎日です。都会に住んでいると、天然の製品は高級で、取り入れたとしても「部分的」なものですが、豊かな自然が残る地域では、環境まるごと天然作用の中で生きていくことが可能です。子供の頃から天然環境で育った人は「脳」も健康的で、素晴らしいなと感心することが多々あります。

ただ私的には「虫」だけは勘弁…なのですが、きっと近い将来、天然作用で虫と棲み分けできる何がが開発されることでしょう。。。それを楽しみに、小さな工夫を重ねながら、待つことにします!

 

寄居での生活も8年を過ぎたある日、大家さんから「次回の賃貸契約更新はしません」との連絡が入りました。

エルモットは賃貸の借家で、大家さんの所有物件です。
この大家さんはご自身で企業経営されている社長さんなのですが、御多分に洩れず「深刻な人材難」だそうで、外国人を採用しなければならず、そのために、私がお借りしている家を会社の社宅に戻すということでした。

これまでの経験で、「エルモット村の実現にはゲストハウスを中心に運営するのが最善」と考えるようになっていた私は、民泊ができる規模の建物がどこかにないか、探していました。

同時期に、エルモット村民であるミュージシャンのマリリンも、移転先を見つける必要に迫られていました。「グランドピアノが置けるところ」が彼女の条件で、一緒に活動できるところがあればいいね、という話をしていました。

紆余曲折あった末、まりりんが3年前にオープニングイベントを依頼されたという、青梅の「多喜山館」に相談に行きました。すると、この建物は旅館だけれども、現在は1階の大広間でうどん屋を営業しているだけで、2階の客室は活用できていないから民泊をやりたいと思っていたものの経験がないから頓挫している、ということでした。

こちらから事業計画をプレゼンして、一緒にやっていきましょう!という流れになり、まりりんと私は多喜山館の宿直室のような場所に住むことになりました。

まりりんとの共同生活は、予想以上に価値のあるものでした。
彼女の目的は「音楽の力で世界を平和にする」というもので、話をすればするほど、方向性や目指す世界観がほぼ一緒なのです。「これを運命というのかしら?」と思うほどです。

そして性格が真逆なところが幸いでした。まりりんは周囲の人間関係を丁寧に築いてきた人で、どんな人にも突っ込んでいって仲良くできる人なのです。音楽に対する情熱や行動力も素晴らしいものがあります。一方で、計画できない、判断基準を持ってない、何でもごちゃ混ぜにする、というような面もあります。これが本当に、私と真逆なのです。「補い合える関係」ということで、本当に良かった。まりりんと会話するために神様がここを与えてくださったのだと私は信じています。 

多喜山館は立派な旅館ですが、問題山積み・・・さてどうしたものか?!

 
 

日々奮闘の青梅生活が3ヶ月を過ぎたある日、多喜山館のオーナーが「うどん屋は当面休業する」との決定を下されました。詳細は出せませんが、法律上の問題など諸々が重なった結果です。

短期間でしたが、私は精一杯、動き回っていました。そして「ここでは無理ではないか」という答えを、実は内側に持っていました。日々まりりんと話し合ううちに「まりりんは多喜山館に残って、この建物を活かすために模索する、私は退出する。」という方向性が自然と決まりました。

 

「退出する」と決めたものの、エルモットの活動拠点として相応しい場所はどこなのか・・・

土地勘もないし、まだよく知らない土地柄です。資金も限られているし、どこへ行けばいいのだろう・・・

そんなある日、エルモット村民のリッキーが、バブルさんを紹介してくれました。バブルさんは地元でバングラ&インド料理店を複数経営しているバングラディッシュ人です。まりりんは「あのアジアンガンジーのオーナーですか!」と驚いて恐縮していたほど、すごい人気店だそうです。

バブルさんのビジョンは、エルモット村にとても親和性のあるものでした。お店で出す料理は非常にヘルシーで、とっても美味しい。あちこちに入手した畑は、店で使う野菜を栽培するためです。そして何をするにも協力体制としてのコミュニティがもう既にできているので、「畑作業」「ペンキ塗り」など簡単に動員できています。更に、外国人に向けての組織を立ち上げようと企画立案の真っ最中でした。そして、私がエルモット・アプリやボランティアの構想を話したら、すぐ理解してくれました。またデザインやウェブの仕事にも関心を持ってくれて、これから立ち上げる新店のメニューや看板などもすぐに任せてくれたのです。そしてバブルさんが従業員用の寮のように使っているマンションの一室をシェアハウス的に使うということで、私も入居させてもらえることになりました。さらに、新店の一部をエルモット村のオフィスに使っていいよと快諾してくださったのです!

こうしてバングラディッシュ人との生活が始まりました。バブルさんはとにかくよく働く人で、店や畑を動き回り、もう尊敬の念しかありません。さらに、ちょっと話しただけの私のアイデアも、頭にインプットして実現させようと考えてくださっているのは驚愕でした。こんなことが出来るのも、地元の不動産オーナーたちとの信頼関係があるから実現できるのだということが、よく理解できました。

バブルさんの畑やお店を手伝う過程で、エルモット村も、ようやく形になっていけそうな雰囲気が表れてきています。興味のある方は、ぜひお手伝いにいらしてくださいね。

 
 

農林水産省の図の中央に「文化の伝承機能」という項目があります。

これが、私のイメージする「和文化のテーマパーク」です。

しかし、ここだけでは意味がない。
周囲の海、山、田畑、すべてが健全で美しく機能してこそ、この文化の機能が役に立つ。

この図全体の中の、テーマパーク。全部が生きてこそ、周囲も生きる。

 

最初はマズローの図を使うのがわかりやすいと考えて、欲求段階図をアレンジして使っていました。

しかし順番を追わないと上がれない印象が強いので、以下のように変更。

まずは、心の中から、幸せを感じられる力を高めてゆく。
そして精神を高めて、周囲と調和した、平和な地球を作っていく。
それが強力に高まった時、地上に和文化のテーマパークが具現化するのだと思っています。

地球をパラダイスにする活動に、ぜひご一緒しませんか?

  

 

世の中には、さまざまな考え方の人がいらっしゃいます。

事業を起こすにしても

前者の考え方が「世間の常識」かもしれません。

でも、私がこれまで出会ってきた人の中でも、私が尊敬する人は
後者の考え方をする人たちでした。

だから私は、資金がないことを言い訳にしないで、
お金がなくても出来る方法を、必死になって探して工夫を重ねてきたつもりです。

もちろん、お金が理由で諦めたことも多々ありますが
よく自殺せずにここまで生きてこれたなーと思うこともあります。

 

夢というのは、初めは憧れだけで突き進めるものです。

しかし、勉強すればするほど、現場を知れば知るほど、課題の多さや自分の非力に気づき、
努力すればするほど、どんどん遠ざかってしまう。。。

夢を追いかけた経験がある人なら、この気持ちが分かると思います。

「私がこの夢を諦めたところで、誰も困らない…」
「どこか堅い企業や役場に就職して安定収入を得たほうが、周囲は安心するだろうな…」
「これは “執着” なのではないだろうか?」
壁にぶつかるたびに、そんな気持ちが湧いてきます。

夢は、諦めたほうが、ずっと簡単に生きられるのかも知れません。
でもそれが私にはできなかった。

「その夢は、あなただけの夢じゃないんだ」と
見えない存在から 何度も叱咤されて
私自身も、諦めることを、自分に許せなかったのです。

いろんな体験を経て、ほんとに色んなことを乗り越えてきて
いよいよ、実現できるフェーズに入ってきました。

価値観を共有できる人たちに集まってもらって、
実現していきたい。

共に行動する仲間になっていただけないでしょうか?

色んな方法がありますので、ぜひ応援よろしくお願いします。
一緒に活動できることを、楽しみにしています!

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